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星田歴史年表



 年代


 年号

   
 星田のできごと

  

 
交野のできごとその他参考事項

 




石器時代




石器時代
1.5万年前〜




 布懸遺跡(旭小学校西、現NTT社宅)

山根街道(サヌカイトの唯一の産生地であった二上山と結ぶ交易路であったとされる。)

,8万年前 神宮寺山麓に握槌(ハンドアックス)をも った文化始まる


1.2万年前 藤坂、津田、神宮寺、星田、四条畷の丘陵地にナイフ形石器文化現る。石器文化現る。

 



縄文時代



縄文時代中期前2500年



旭縄文住居跡遺跡

前7500年  神宮寺山麓に早期縄文時代の文化発生

 







弥生時代

弥生時代中期約100年


弥生時代後期
約280年

鐃速日命(交野物部氏の祖)は、日南山に居をかまえ、大和、河内の支配者の長髓彦と臨戦態勢をとったが、和睦し、共同政権を樹立した。

星田坊龍(ぼうりょう)遺跡。稲作が行われる。

交野物部氏の祖とその一族天野川沿岸の農耕文化指導、耕作を広める。

祖神の鐃速日命、磐船谷の船形巨石崇拝起こる

中水道、森の木など各地に弥生遺跡

天照大神の命を受けた鐃速日命が神器を持って巌のような頑丈な舟に乗って哮が峰に降臨した。(先代旧事本紀)


239 邪馬台国(卑弥呼が王) 

 









古墳時代

古墳時代前期
約296〜400

古墳時代前期
約400〜450

敏達朝5年
577

推古朝元年
(592)


妙見山古墳




物部守屋、 天野川の郡津・私部とその上流の寺、森、私市,星田の自分の領域を敏達天皇の皇后豊御食炊屋姫尊に献上し一帯が私部(きさいべ。皇后領)となる。

 豊御食炊屋姫尊は、推古天皇(女帝)になり、私部(きさいべ)は、天皇領の交野三宅となる


長谷(ながたに)古墳

350頃 大和統一政権誕生(三輪山倭王朝)

交野物部一族や交野忌寸(いみき.機物一族)の首長などの墳墓




538 仏教伝来
587 物部氏、蘇我馬子に滅ぼされる

 





飛鳥時代

大化2(646)

天野川沿岸付近の田に条理制の区画法実施
星田中川堤西側の平坦地には条理制を敷かず、星田(乾田)牧をおいてこの一帯は朝廷の牧場となる。

604 聖徳太子「十七条の憲法」制定

645 大化の改新  蘇我氏滅亡

672 壬申の乱

 

 




奈良時代

710 平城京遷都

712 古事記の編纂

721 日本書紀の編纂

天平 3(731)  開元寺建設

延暦2(731)〜21 桓武天皇 在位中12回にわたり交野地方に遊猟、行幸

 

 














平安時代








承和12年(845)

貞観17(875)

延喜元(901)

延喜7(907)

延長8(930)

天禄元(970)

長承元(1132)

久寿2(1155)








河内高安の清原行光、荒山寺(小松寺廃寺)の仏堂建立(小松寺縁起)

星田妙見の北辰の影向伝説起こる

荘園交野三宅山一帯(私部、寺、森、私市,星田の山地)は、岩清水八幡宮の荘園となる。交野郡司が朝廷から官省附を受ける。

星田神社はじめ天野川沿岸の村々の祭神は、鐃速日命から住吉四神に変わる


山中の小松寺(廃寺)建つ

星田妙見山双石が北辰妙見菩薩として祀られる

星田牧、鳥羽法皇庁から為弥野牧からの独立認められる。
興福寺別院円成院の荘園となり傍示川はその境界となる。

794 平安京遷都

805 天台宗(最澄)を伝える。

807 真言宗(空海)を伝える。





874 交野地方に遊猟した宮廷人の敬天思想から、   天田宮、天の川、星田などの天体にかかわる地   名が出て、倉治機物神社には、天棚機比売大神   、栲機千々比売大神が祀られる。
900 獅子窟寺建立、本尊薬師仏造立。

 




鎌倉時代



延慶2(1309)


延元元(1336



星田新宮山八幡宮境内(現星田公園)の石造物(金石文の年号)

和田(後の東和久田)助忠、助光兄弟楠木方に味方する

1192 源頼朝征夷大将軍になる

 






室町時代



正平21(1366)

応永30(1423)


正長元(1426)

明応2(1493)



星田神社境内にあった石塔の金石文の年号

庄屋和田(和久田)出雲守安直妙見宮別当となり代続く

庄屋和田(和久田)出雲守安直 私部城主安見右近が城の築材として岩清水八幡宮領の伐採について誡めたがきかれずそのもとを去る

小松寺(しょうしょうじ。法華宗)境内の墓塔残欠の金石文の年号

1338 足利尊氏征夷大将軍になる

1392 南北朝の統一

1467 応仁の乱

 















戦国時代

大永7(1527)

天文17(1548)

天文18(1549

永禄2(1559)















永禄5(1562)

永禄6(1563)

善林寺創建

星田新宮山八幡宮境内(現星田公園)の宝

印塔(金石文の年号)

光明寺信者は逆修墓塔残欠(金石文の年号)

星田里正平井三郎右衛門正道、その弟橘助正有以後代々新宮山別当となる。

平井正道は、安見直正に従って河内、和泉に転戦し、堺で三好長慶の弟の十河一存を破る。

三好長慶と畠山高政は連合して、河内高屋城にいた安見(直政等)を攻め、安見は、飯盛城に逃れ、さらに攻められて平井正道討死し、安見は、大和に逃れる。

畠山は、高屋城を奪回し、これに功績のあった家臣の遠藤昌親に恩賞として、星田ほか六ヵ所を与える。

遠藤昌親は、星田山中の小松城(廃小松寺のこと)に居城し地域を支配した。このとき星田は、歴史上唯一星田ほか六ヶ所政治の中心であった。

畠山高政と三好長興が争い、畠山は、河内教興寺の争いで大敗し、遠藤昌親らを従えて堺から和歌山に逃れる。

この戦で遠藤昌親の弟の俊親討死し、星田寺に葬られる。

星田寺境内に遠藤昌親の一石五輪搭(永禄六年在銘)あり。







1551  安見直政(私部城主)河内守護代になり,     河内高屋城に居城






























 






安土桃山時代

天正元(1573)


天正12(1584)


文禄3(1594

慶長元(1596)

星田村の僧貞阿、念仏宗光林寺のもとを開き、星の道場と称す。

豊臣秀吉星田庄内の120石の土地を岩清水八幡宮の御供料所として寄付

星田の太閤検地終了 豊臣秀吉検地石高星田村120石余ほかの寄付の朱印状を八幡宮善法寺に交付する。

慈光寺住職旦玉、天台宗を改め念仏宗とす

1574  安見直正私部城で病死。大和の筒井勢私    部城を攻め、防戦なく開城。北田好忠敵前で     武技を示して死す。

1582 本能寺の変

1585 豊臣秀吉関白となる。

 

 

 





















江戸時代






元和元1615


元和6 1620   

寛永元 1624

寛永10 1633


寛文元 1661


元禄元 1688



元禄3 1690


元禄7 1694


元禄16 1703


宝永元 1704


正徳5(1715)

享保7(1722)


享保11(1726)

宝暦2(1750)

宝暦9(1759)

宝暦12(1762)

明和3 1766

天明2 1782

寛政元 1789

寛政2 1790

交化2 1805                         天保8 1830  


天保11 1840

弘化元 1844

嘉永3 1850

嘉永5 1852


文久2 1862






55日)徳川家康大阪城攻めのため、平井清貞宅に宿営 徳川家は、豊臣家と同様星田120石を岩清水八幡宮御料地として、八幡善法寺支配とする。

星田1300石は、市橋長政(近江西大路蒲生藩主)領とし幕末まで続く。

僧由義親新宮山愛染院に律宗をはじめる。

星田109石余ほか永井信濃守尚政(淀城主)領となる。

星の道場と呼ばれていた光林寺は、この年より降林寺と称す

星田村は、落野辺水落口から天野川まで85間の二重堤を築き、以後堤敷料として年々米10石を私部村に納める。

星田村 家数 332戸(高持百姓221、無高111)

人数1524人(男818、女813)

星田109石余大久保忠朝(小田原城主)の領となり幕末まで続く

星田山中の小松寺から十一面観音は、星田寺へ、薬師仏は、光明寺へ移す。

星田、私市、田原、南田原の4村の氏神磐船明神で4地区の氏子中に宮座争いを起こし、4か村がそれぞれ明神分霊を各村に移して祀る。星田は、星田神社。私市は、若宮神社。

光明寺真言宗東寺末となる。

夏大旱魃。用水不足。星田百姓35人上流で新田を開き、下流の本田の所有者ともめる。

光林寺大修復



旱天のため、星田雨乞いし、返礼で住吉踊り

慈光寺諸堂再建

星田村山麓谷あいの開発


徳川家代官新開地の検地

光林寺鐘出来、鐘供養

星田寺本堂再建

慈林寺鐘出来、鐘供養

星田領主市橋長昭、平井家裏に神祖営址之碑を建てる。

2月22日朝、大塩平八郎の一味茨田郡冶逃れて星田村和久田与次兵衛方に頼る。

星田妙見宮の拝殿再建成る

慈光寺出身の僧哲空は浄土宗粟生本山光明寺の衆頭職となり、光明寺の境内諸堂を完成し、一字一石三部経塚を建立す。

領主大久保家は、窮民に薄利で金を貸す。

金谷家出身の僧蘭玉は、浄土宗西山派本山光明寺学頭職となる。

歌人太田垣連月新宮山愛染院に寄寓し、作を残す・

1600 関ヶ原の戦
1603 徳川家康征夷大将軍になる
1614 大阪冬の陣 1615 大阪夏の陣

































1716 享保の改革

















1787 寛政の改革










1837 大塩平八郎の乱




1841 天保の改革

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


















明治時代

明治元 1868

明治2 1869

明治4 1871

明治5 1872




明治6 1873


明治7 1874


明治8 1875

明治9 1876

旧幕藩稜村大阪府南司農局所管となる。

1月 河内県所管となる。星田は、市橋家領のまま 8

堺県管下となる。星田はそのまま。

7月星田1300石は西大路県管下となり、11月堺県支配に入る。新戸籍できる。家々に姓をつける。

河内和泉は54区、そのうち河内は29区。第5区13ヶ村

神仏分離令により、新宮山八幡宮を星田神社境内に移すし、愛染律院を廃す。星田郷学校創立。庄屋、年寄制廃止し、戸長制となる。

地租改正条例公布地租課税さる。星田郷学校を60番小学校とする。大阪鎮台兵を徴兵

河内を3大区15小区に 星田は第3大区で、3小区34カ村にあった。

6番小学校を星田小学校に改称

星田郵便取扱所創設

鳥羽伏見の戦い。

東京遷都



第5区 星田、私市、私部、寺、森、郡津、傍示など、      倉治は、第6区