生駒山系を歩く 津田・交野山・星田編に戻る
表紙に戻る
GPSでみた四条畷神社から飯盛山頂までの新道、旧道の軌道の比較
飯盛山登山道
府民の森むろいけ園地
全ルート図であり、府民の森むろいけ園地のミニ園地であり、堂ケ池を過ぎると2つの園地が連続しているコースである
堂尾池ハイキングコース
湿






野崎観音

JR四条畷駅駅からの飯盛山登頂コースは、現在新コースが作られていて、四条畷神社と御机神社から登頂できる。
従来の旧道は法面崩壊の恐れがあるため新道を歩くよう指示札が立っている。新道は飯盛山の頂上から御机神社に向かう長い尾根筋に沿った道であり、四条畷神社からはこの道に合流する形になっているが、階段状の道であり、一本調子に頂上に向かう道であり部分的に急坂を登るところがある。旧道は、ややらせん状に右往左往して距離をかけて登る道で階段ではなく、普通の山道であり、現在でもフアンが多い。
中尾根コースのロープ
竹林コースちくりんの水(中央)
下、中央、上と3ヶ所にちくりんの水
の飲み水がある。
滝谷楠水の場
権現川ハイキングコースをむろ池に向かってゆくと、橋を渡って川筋が分岐する。分かれた川の上流は桜池であり大東市の野外活動センターがある。その川筋にある楠の水場で、水量の多い湧水
がでている。またここから楠公寺に向かう尾根筋がある。
飯盛山・野崎観音縦走コース
絵日笠コース、竹林コース、中尾根コースの3コースがあり、絵日笠コースを歩く人が多い。竹林コースは途中に竹林がありこのような名がついたのであろう。このコースは、野崎方面からは沢道を昇りはじめ除々に高度をあげて尾根で他のルートと合流する道で、途中ちくりんの水が3か所ででている。
中尾根コースは名のとおり尾根道で野崎側で尾根が急激に低くなっているので、山道の傾斜が強くなり、その間安全ロープが張られている。
飯盛山頂上付近や楠公寺など山の南側と西側はは、大東市に属し、、
このため飯盛山・野崎観音縦走路、楠公寺や大東市野外活動センター、桜が池などは大東の杜ハイキングコースとも呼ばれている。四条畷市の市域は、東よりの権現川上流(楠水の場を流れる川が境界。)から以東の室池、府民の森などである。
D 飯盛山・野崎観音縦走コース(飯盛山・野崎観音ハイキングコース)と野崎観音

楠木正行(小楠公)の銅像

南北朝時代、楠木正行は、12歳で桜井の別れで父正成(大楠公)が殉死(湊川神社で祀られている。)して10年後、南河内を中心に勢力を盛り返してきたが、足利尊氏が高師直、師泰親子に3万の大軍をさずけて、飯盛山から野崎の山に5000、逢坂、竜間に1000、生駒の山麓に2000の援軍をまた師直20000の本軍は中野、岡山に配備したが、正行軍わずか3000は、東大阪の四条から師直の首をめざして本陣をせめたが、生駒の山麓に構えていた軍勢との挟み撃ちにあい、分断され、正行本隊は300になり、軍馬をすて徒歩となり、さらに50に減り、一族34名は、相刺し違えて楠木正行軍は滅亡した

野崎観音
 野崎観音で名高いが福聚山と号する曹洞宗の禅寺である。

水道原水の取水施設跡
四条畷市の上水道発祥の地、清滝上水道の原水取水施設跡である。昭和32年から平成10年まで室池、権現川の水が水源であった。府営水道の高度処理化によって全量それによって賄うことになり、廃止された。
蟹ケ坂ルートの小滝
平坦な道が多く山道の特色が少ないこのコースで唯一の名所ともいえる高さ4mほどの小滝であり権現川ルートと別れ、樹林に入ってすぐ右側に見える
両コースとも四条畷神社、御机神社の北側(国道163号線寄り。)を流れている権現川沿いに登る道であり、途中四条畷市水道原水の取水施設の廃施設を過ぎた跡、厚生園の手前で両コースの分岐点をむかえ、権現川コースは、府民の森むろいけ園地の西側に蟹が坂コースは同園地の東側に通じているコースである。
B 権現川・蟹ケ崎ハイキングコース(忍ケ丘・四条畷駅〜府民の森むろいけ園地)
むろいけ園地水辺自然園
随所に室池をとりいれた自然公園である。ルートとしては、ネイチャートレイル(外回り)とファミリートレイル(内回り)があり、一部で自然環状歩道(生駒歩道)が走っている。
室池
C 飯盛山登頂コース(四条畷神社または御机神社から飯盛山頂)と飯盛山
飯盛山
四条畷市ふれあいの森
堂尾池(左)とその下流側の土手
の近くにある滝
堂尾池ハイキングコースの堂尾池から下流は、北田原の住民などのビオトープ田原里山の会によって自然保護に努められていて、ホタルの飼育なども行われている。
A 室池、府民の森むろいけ園地
府民の森ほしだ園地のじょうりょくの道から飯盛霊園口に抜け、国道163号線に面した霊園口から163号線を少し東方向に歩き、天満宮のある交差点を右に折れてゆくと戎公園がある。戎公園をさらに右折し山方向に進むとそれが堂尾池ハイキングコースである。川沿いの山道が続き、堂尾池に達する。堂尾池の周りを約半周すると、四条畷市ふれあいの森の入口があり、そこから川沿いのコースと尾根筋に向かうコースがある。ふれあいの森を抜けると四条畷市青少年活動センターと府民の森むろいけ園地のひょうたん池の入口がある。
@ 府民の森ほしだ園地から大阪環状自然歩道(堂尾池ハイキングコース経由)を歩いて府民の森むろいけ園地へ
室池・飯盛山・野崎観音付近のコースの区分
@ 府民の森ほしだ園地から大阪環状自然歩道(堂尾池ハイキングコース経由)を歩いて府民の   森むろいけ園地へ
A 
室池・府民の森むろいけ園地
B 
権現川・蟹ケ崎ハイキングコース(忍ケ丘・四条畷駅〜府民の森むろいけ園地)
C 
飯盛山登頂コース(四条畷神社または御机神社から飯盛山頂)と飯盛山.
D 
飯盛山・野崎観音縦走コース(飯盛山・野崎観音ハイキングコース)と野崎観音
府民の森むろいけ園地・飯盛山・野崎観音ハイキングコース概略図

権現の滝 
15mほどの滝である。この滝は、僧行基が日照りに苦しむ民衆のため天平年間に7日7夜の行をおこなっていた。そのうち八大竜王のうちの1竜王が老婆に姿を変え、叶えようといって姿を消した。やがて大雨が降り、滝から竜巻が起こり、竜が昇天した。竜は、竜王たちの掟を破ったということで、その竜王は、竜頭、竜胴、竜尾に分かれて落ちたという。ここに住む竜神が権に姿を現した場所ゆえにこの滝を権現の滝、川を権現川というようになった。

室池は標高250〜280の高地に多くの谷を堰き止め新池、古池、中ケ池、砂止め池の4つの池の総称であり、総面積は、17ヘクタールある。農業の灌漑用水、四条畷市の上水道の水源としてもつかわれてきた(府営水道の高度処理化開始によって廃止)。室池の語源は、氷室池であり、平安時代にはこの池で結氷した氷を切り出し室に貯蔵し夏に京都に運搬した記録が残っている。明治時代にも氷結した氷の上にさらに水をはり、3枚氷、4枚氷で貯蔵し、夏に荷だししたという記録も残っている(中堤から見た上古池。下新池。)

お染久松の墓

飯盛城址

飯盛城は、河内国守護であった畠山氏の武将木澤長政によってはじめ造られたが戦乱の世四国阿波からでてきて同じく畠山氏の家臣であった三好長慶が力を伸ばし木澤長政を攻撃し、当時飯盛城を守っていた安見美作守を攻め、永禄3年(1560年)入城し、時の将軍足利義輝から祝福を受けている。その時は、5畿内と四国の東部をその勢力範囲としたが、戦国時代で長続きせず8年後織田信長が入京し、その軍門に下ったのでその後の歴史の上から目立った業績を残していない。
しかし飯盛城は、台形上の長い頂上尾根をはじめ、数多くの曲輪が建っていて、山城としてはわが国でも有数のものとされていて、また現在でも随所に石垣が残っているなど、中世の山城研究の貴重な素材であるとされている。













































































































mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm