十一面観音
妙見山南の墓地の
古式地蔵
名所記が描く浅間堂
中川通の地蔵さん
星田寺の境内から発掘された阿弥陀さん(石仏)
お堂の収蔵庫
名所記が描く弁財天。末社が描かれているが今はない。
星田の石佛、塔婆の金石文
  星田にある石佛、塔婆で年号の刻印のある主なもの。 
        新宮山宝院塔              天文17年 (1548年)
            星田寺五輪塔                永禄6年(1563年)
        慈光寺十三仏蓮弁形碑          慶長12年(1607年)
        新宮山五輪塔台石             延慶2年(1309年)
        光明寺逆修塔                天文18年(1549年)
  
            薬師寺六字名号               慶長12年(1607年)
        小松寺宝院塔の残欠          明応2年(1493年)
石仏 石仏には、右手に錫杖、左手に宝珠をもつ地蔵菩薩と右手を上、左手を下にしている阿弥陀さんの2種類あるが、星田では,まちの随所やお寺の境内などに阿弥陀さんを中心に石仏が沢山残っている。平安から鎌倉にかけての古式地蔵(右手に錫杖をもっていない。)は、交野で3箇所あり、1箇所は、私市の共同墓地にある弘安地蔵であり、残る2箇所は、星田の薬師寺と妙見山南の墓地ある。
昭和50年頃星田寺の境内から10数個の地蔵さん(全て阿弥陀さん。)が発掘された。これは、明治初年の廃仏稀釈の折に、壊しきれずに、官憲の眼を盗んで星田寺の竹薮(当時)に埋めたものであろう。
大師堂 星田では昔は、弘法大師に対する信仰が厚く、旧村落のところどころに15箇所の大師堂があり、周辺住民に祀られてきた
地神祠 垣内は、上代に天野川、妙見川、中川によって水田が広がり、水田の近くに開拓地として、人がすむようになったところとされているが、この人達が祖先を神として、祀ったものとされる。(西井長和氏「星田懐古誌」)
妙音池の弁財天新宮山の放生池として造られた. .妙音池の名の由来は、新宮山にあった八幡宮の名鐘の響きからきたものである。現在妙音池には、池に浮かぶように、星田会館が建っている。会館の南側の小島に昔から弁天堂があり、弁天島となっている。この弁天堂は、もともと新宮山の崖に建っていたが、がけ崩れによって、お堂ともども池に落下して弁天島ができたとされる。(交野町史)
全現堂池の浅間堂 現在の全現堂池は、もともと上の池と中の池に分かれていて、さらにその北側に今池と三つの池が並んでいた。中の池のことを浅間堂池といい、富士浅間大日如来を祀っている。この如来は、江戸期の延宝5年(1677年)修験道の先達の奥田浄安が京都の仏師に造らせた仏像を仲間と一緒に富士山を担いで登り、富士浅間神社で開眼供養を行ったとされる。しかし現在は、コンクリートの収蔵庫に納められている。
薬師堂、本堂の門外に山門と並んで建つ
本堂、釣鐘堂
中央が古式地蔵(室町時代)
本殿の屋根と外宮の
交野社と八幡宮
名所記
本殿
御神体の2つの大岩と拝殿
名所記が描く妙見山
薬師如来立像
薬師如来立像
5つの箱に入った千体仏と下は拡大写真
名所記
祀られた大岩
名所記
名所記が描く花岳院(星田寺のこと)のあけぼ
本堂と右側は十一面観音堂
十三石仏

慈光寺
西山浄土宗、粟生の光明寺の末寺。本尊は、阿弥陀如来。創建は、不明であるが、十三石仏は、慶長12年の作。十三石仏碑は、初7日から33回忌まで13回の仏事の仏と菩薩を刻んだもの。総高145センチ。生駒山系に集中し,大阪府下で29あるが、交野市では、ここのみ。大阪、堺市にはない。


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薬師寺
浄土宗、本尊の薬師如来立像は、室町時代作のヒノキの寄木造り。像高は、158センチで、交野市指定文化財。
千体仏 室町時代のヒノキ造りで地蔵菩薩坐像、薬師如来立像等671体が5個の木箱に納められている。村人が疫病が流行らないよ浄財を出し合って仏師に作らせ奉納したもので、交野市指定文化財。境内に松香石の古式地蔵がある。

星田寺(しょうでんじ)
開創の年代は、不明であるが、河内長野の金剛寺の記録により、平安時代には存在していたとされる。宗派は、東寺真言宗、本尊は、不動明王(室町時代作)。 十一面観音立像(平安後期作)は、もともと山中の小松寺にあったもので、廃寺になる時、星田神社に移され、さらに明治初年に星田寺に移された。交野市指定文化財。
寺域内には、永禄6年(1563年)の刻記のある五輪塔婆や室町時代の様式をもつ一石五輪塔が多く保管されている

小松寺(しょうしょうじ
法華宗尼崎本興寺の末寺。開創宝永元年(1704年)。本尊は、日蓮大菩薩御定の久遠常住輪円具足の南無妙法蓮華経で、釈迦,多宝、四菩薩、四天王,三光天子、鬼子母神,十羅刹女、三十番神、日蓮大菩薩、日隆大聖人等が奉安されている。また、現在でも開山上人が造立した平重盛の位牌が納められている。


光林寺
山号は、降星山で、降星伝説の八丁三所の1つである。西山浄土宗粟生光明寺の末寺。本尊は、阿弥陀如来。創建は、桃山時代かもう少し前。本尊の西側の釈迦三尊像は、廃寺となった新宮山愛染律院のもの。釈迦如来は、室町時代,五鬢 文殊と普賢菩薩は、鎌倉時代のもの。寺宝に仁孝天皇御用の(しとね。御座<ござ>)がある。これは19世住職圭忍上人が総本山粟生の光明寺の衆頭職であった頃に,天皇崩御に際して形見としてもらったもの。

善林寺
浄土真宗本願寺派。本尊は、阿弥陀如来立像。創建大永7年(1527年)。現在の本堂は、天保時代(1830年〜)に、枚方釈尊寺(行基寺)釈迦堂を移築したもの

光明寺
宗派は、東寺真言宗。創建は、不明であるが、豊臣時代以前とされる。本尊は、阿弥陀如来である。
当寺境内の薬師堂の薬師如来立像は、ケヤキの1本造り。像高166センチ、平安前期の作で、交野市内では最も古いものとされるが、頭部は、後補である。

星田妙見(小松神社)

祭神は、神道では、天之御中主大神、とされるが、仏教からは、妙見大菩薩、道教からは、太上神仙鎮宅霊符神としてあがめられ、わが国において神道、仏教、道教が融合した珍しい霊場である。
ご神体は、二つの大岩で、この岩は、影向石として、神や仏がこの岩に姿を現したということである。

縁起等については、「星降伝説と八丁三所」の項を参照

星田神社

祭神は、本殿は、住吉四神(表筒男尊、中筒男尊、底筒男尊、神功皇后)で、本殿の北に接する古宮は、饒速日命,鳴命、仁徳天皇である。古宮は、歴史的には、古く、宮寺の星田寺と同様長治2年(1,105年)には存在していたとされる。天文4年(1,535年)の神名帳に岩船大明神、小松大明神(妙見宮)、交野大明神(星田神社のこと)の3神社が記載されており、星田の氏神であった。本殿は、岩船明神が昔、星田、私市、田原、南田原の総氏神で4者で運営していたが、宝永年間(1,704年〜)に岩船の神霊を分離して、各村で祀るようになり、以来住吉4神を本殿に祀るようになった。また明治初年の神仏分離の宗教改革の際、新宮山にあった八幡宮と慈光寺にあった琴平社を外宮として移している。